神の国の到来
2021年2月28日 イザヤ書35:1~10、マタイ12:22~32 関 伸子牧師 ベルゼブル論争と呼ばれる出来事は、ある事件がきっかけとなって始まった。すなわち、「目が見えず口の利けない人」がイエスによって癒されたことがその発端となったのである。この人は目と口が不自由な分、いろいろなことに熱心に耳を傾けていたに違いない。この人を主イエスはいやされた。群衆は皆驚いて「まさか、この人がダビデの子ではあるまいか」と言った(マタイ12:23)。 イザヤ書[…続きを読む]
神の言葉によって生きる
2021年2月21日 申命記8:30:15~20、マタイ4:1~11 関 伸子牧師 主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたとき、「これは私の愛する子、私の心に適う者」という声が天から聞こえました。おまえはわたしの心にかなう者であるという神の保証を得たイエスは、その直後、神の霊によって荒れ野へ導かれ、悪魔の試みを受けられました。悪魔は三度にわたりイエスを試みます。 「四十日四十夜、断食した後、空腹を覚えられた」(マタイ4:2)。モーセは40歳の時、イ[…続きを読む]
恐れることはない
2021年2月14日 列王記上19:9~15、マタイ 14:22~36 関 伸子牧師 昨晩、福島沖で大きな地震があり、私たちの住む小金井市もかなりの揺れを経験しました。東日本大震災から10年経ち、余震は10年以内にあると言われていることが起こり、仙台、福島の方たちのことを思いました。「恐れることはない」と弟子たちに言われたイエスさまの御言葉に聴きたいと思います。 「ところが、舟はすでに陸から何スタディオンか離れており、逆風のため悩まされていた」(24節[…続きを読む]
心からの祈願
2021年2月7日 イザヤ書56:1、6~7、マタイ15:21~28 関 伸子牧師. カナンの女性の物語がマタイによる福音書第5節21節から28節に記されています。主イエスは反対者たちの追求を避けるためゲネサレトを発ち、フェニキアのティルスとシドンの地方に退かれました。そこですばらしい信仰を持ったカナン人の女性に出会い、その女の娘が癒される。カナンは地中海とヨルダン川に挟まれた広域の地に対する古代の名称で、このカナンのギリシア名がフェニキアです。ティルス[…続きを読む]
イエスの招きに応えて
2021年1月31日 詩編119:9~16、マタイ5:17~20 関 伸子牧師 主イエスが語られた福音は、当時のユダヤ人にとっては、意表を突くものでした。それでユダヤ人はイエスの語られたことを理解しかねていました。マタイによる福音書第5章17節以降、主イエスは権威をもって「よく言っておく」、「しかし、私は言っておく」と、繰り返しながら語られます。その始めにまず、マタイ教会の綱領と言い得ることを語られます。「私が来たのは律法や預言者を排しするためだ、と思っ[…続きを読む]